クリスマスと物欲


先日、クリスマスグッズを買いに、新宿のナチュラルキッチンへ出かけた。

この日、夫は友人と遊んでいたので、珍しく一人で。
行く前は、「ヤッター!今日はケチんぼの夫がいないから好きなだけ買えるぞ〜!」と思っていた。

ところがどっこい、実際ナチュラルキッチンに着き、商品を目の前にしたとき、わたしは思った。

「欲しいものが分からない…。」

愕然とした。
物欲の申し子として、大学時代は月8万円のバイト代を毎月使い切ってしまっていたこのわたしが。

欲しいものが分からない、だと…?

思い返せば、わたしは子どもの頃から物欲がすごかった。
ただ、あまり「コレ欲しい」と口にすることは少なかったんじゃないかと思う。母子家庭だったので、母にあまり迷惑をかけたくないという気持ちが強かったからだ。

それでも、デパートで見かけたあの洋服が欲しいな…とか、タマゴ型のオルゴールが欲しいな…とか、あれこれ欲しいものはいくらでもあった。

自分でお金が稼げるようになってからは、誰にも気を使わずに使えるぞー!と、主に洋服や飲み代にせっせとお金を注ぎ込んでいた。楽しかった。

結婚してからは、夫がケチんぼというのもあるけど、自分だけのお金じゃないのだという意識もあって、使う金額は激減した。

それでも自分は物欲の塊であることには変わりがないのだと思っていた。
そう、ナチュラルキッチンに来るまでは…。

「これ可愛いな」と思っても、いざお金を出して買うことを想像すると「いやほんとにこれ欲しいのかな…?」と不安になってしまう。

物欲とは内側から溢れ出る感情に過ぎず、当の本人が不安を覚えてしまうと拠り所になるものは何もなくなってしまう。

わたしはクリスマスグッズの前に立ちすくんだ。

物欲がない、ということはすなわち、「ワクワクしない」ということと表裏一体である。

25年間生きてきて、クリスマスにワクワクしなかった年など一度もなかった。いや浪人時代はそうでもないか。あのときは絶望と毎日戦っていたな。

まあそれは置いといて、ここにきて「クリスマスは楽しいもの」という思い込みが思い込みであることに気付いてしまったのだ。

衝撃だった。
そして同時に、「なんとか楽しまなくてはならない」という強迫観念にも似た思いがわたしを襲った。

結局その日は3000円くらいクリスマスグッズを買い込んだ。

衝動買いかもしれない。いやたぶん衝動買いだと思う。商品ひとつひとつ自体にそんなに意味はないのだ。わたしに購入を促したのは「ワクワクしたい」という気持ちに他ならない。

そして、家に帰って、夫とツリーの飾り付けをしながら思った。
もうこどもの頃のようなワクワクした気分は味わえないのだとしても、大人には大人のクリスマスの楽しみ方があるのではないかと。

ちなみにそれがなんなのかは未だに分からない。分からないけど、わたしの前に横たわる茫漠とした時間、そして毎年やってくるイベントを惰性で終わらせるのは嫌だ。なんとしてでも楽しみたい。

パリピのクリパ特集なんてものがZIPでやっていたけど、たぶんわたしの目指すものとは違う。
なんだろうな。やっぱり分からない。だけど夫婦でゆっくり探していきたいと思う。人生あと50年くらいあるんだから、まあいつかは分かる日が来るんじゃないかな。